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代々木パークヒルズへ

 木崎が後部座席へ滑り込むとタクシーが走り出した。

「高速使いますか?」

「いや、下道でいい」

 急いで帰ったところで迎える者は誰もいない。明かりのない冷たい部屋が待っているだけだ。

 窓の外を夜の街が流れていく。上着のポケットから携帯端末を取り出すと画面をタップした。青い小鳥の画像が映し出された。丸まった黄色いくちばしに大きめの黒目。しばらくすると黄緑色の小鳥の画像に切り替わった。木崎は首をだらりを横に傾け、目の力を抜いてぼうっと眺めた。十秒ほどで切り替わっていく小鳥の画像は、どれも羽を閉じ、すました顔で写っている。

 小鳥の画像は、十代の終わりから集め始めた。もう三十年以上前の話だ。

 結婚したら小鳥を飼う。

 ずっとそう思っていた。明るい窓辺に腰かけ、鳥かごを指でつつく木崎に、妻と娘が明るく笑いかける。木崎は微笑みを返しながら、妻から娘を受け取って、膝の上に乗せる。あのころ、いつかそういう日が来ることを信じて疑わなかった。誰にでも訪れる幸せだと思っていた。
 だが、木崎にその日が来ることはなかった。
 自分の人生が、中身の入っていない外れクジだと気づいたのは、四十代の半ばに差し掛かったころだった。周りには、妻や子供という花びらを付けた家庭持ちの花が満開だった。その中で木崎だけがつぼみのままで突っ立っていた。
 なにも悪いことをしたわけではない。ただ正直に生きてきた。研究に没頭して、突っ走り続けていた。いつの間にか、家庭を持つという途中駅を通過していた。

 何も入ってない空っぽの人生。巻き戻すこともできず、ただ終わって行こうとする自分の人生に恐怖した。
 あの研究はそんな木崎の人生への抗いから生まれたものだった。
 木崎は携帯端末をポケットに放り込むと、窓の外を見た。暖かそうなコートを着た女と子供のマネキンを飾ったショーウィンドウが流れて行った。

 窓ガラスに木崎の顔が白く映っていた。皮ばかりの痩せた頬。しわが寄った目じりに真っ白な髪。老人の顔。思わず硬く目を閉じた。窓ガラスを叩き割りたい衝動に駆られた。頭を振って湧きあがる恐怖を追い払った。

 警告アラームを鳴らす機材に囲まれた実験ベッドで、眠ったように目を閉じていた安西の姿が浮かんだ。誰もが手に入れる幸せの代わりに木崎に与えられた奇跡の体。
 おれの残りの人生は、あの実験体にくれてやる。

タウンからの帰りは味気ないものだった

黒木冴子が別れを告げると、姿が薄くなって消えていった。黒木冴子が消えると、バイクもベンチも消え去り、急に腰の置き場を失った沢田はコンクリートの堤防の上で尻もちをついた。現実に放り出されたような気がした。沢田は胸から携帯端末を取り出し、ダイブコントロールの画面を表示させると、帰還ボタンを押した。視界が光の線で満ちて行き、真っ白に埋め尽くされた。

 暗いチューブの中で目が覚めた。夢。もっと見続けていたい夢だったように思えた。

 

 午後十時十二分。館内の照明が落とされた防衛省ビルから外に出た。強い風にマフラーとコートがあおられた。頬を刺す冷たさに不快感を覚えた。タウンなら、どんな服を着ていようといつも快適だ。現実の不自由さに心がざらついた。腹の底で吐け口のない怒りが湧きだした。

 

 地下鉄霞が関の駅から電車に乗った。夜十時過ぎの乗客はちょうど座席が埋まるほどだった。疲れた顔が並んで座っている。吊り革につかまって立っていると何度も体が揺られた。家までは、乗り換えが一回あり、一時間半かかる。往復三時間の通勤。やけに無駄に思えた。タウンなら、どこへでも一瞬で移動できる。一日三時間。一年で七百時間以上の通勤時間。丸一か月を電車の中で過ごしていることになる。わかっている。くだらない計算だ。なんの解決にもならない。

「夢の方を現実として生きたとしても、それで幸せなら何の不都合もないわ」

 黒木冴子の言葉が頭に浮かんで消えていった。

 

 午後十一時五十八分。駅からマンションに向かって歩いていると、公園の横に一台の車が停まっていた。大型の黒いセダン。駅から近いこのマンションエリアでは、車自体少ない上に、大型のセダンが停まっていることなどめったにない。だが今朝も、マンションから駅へ向かう途中で同じような黒い大型セダンが停まっているのを見かけていた。めったに見かけない大型の黒いセダン。気になった。歩調を変えずに、歩く方向をセダンに向けた。

 セダンに近づいていく。後藤がいった言葉が頭をよぎった。テロリスト。リアルの世界で襲った方が手間もかからず犠牲も少ない。拳銃、自爆。早まったことをしたと思った。テロリストの一味であれば、沢田も殺される可能性がある。智美たちを仮想空間で殺し、残った沢田を現実空間で殺す。根拠はないが、それがテロリストの考えのように思えた。

街灯が一本立っているだけの暗いひと気のない公園。殺人には格好の場所だった。気づくのが遅かったと悔やんだ。セダンとの距離は、すでに十メートル程度の一本道。銃器類の射程内に入っている。ここで引き返せば、かえって刺激する。何も気づいていない通りすがりを装うしかない。

 一歩、一歩、セダンが迫ってきた。ドアが開いたら、かばんを捨てて、走って逃げる。体から血の気が引き、心臓の鼓動が大きくなっていった。大型のセダン。四、五人乗っている可能性もある。一斉に銃弾を浴びせられたら、体中から血を吹きだして即死だろう。胃が口から出てきそうだった。