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はるか年下の黒木冴子を相手に、感情を抑えるのが精いっぱいだった。

「それって、おかしくない? ずっと単身赴任してる人だっているのよ。奥さんとも、子供とも会えない生活。外国に単身赴任してる人なんか、時差のせいで通信でのつながりも取れない人が多い。奥さんと、子供がいることなんて、おまえが現実の世界に帰らなきゃいけない理由にはならないわ」

 自分の存在意義を否定されたような気がした。胃に違和感が起こり、気分が悪くなってきた。

「わかってきたんじゃない? おまえが現実に固執する本当の理由が」

 わからない。答えはわからないが、確実に追い詰められているのを感じた。心臓の鼓動が速くなった。恐怖心がこみ上げてくる。

「それは、お金よ」

 つかんでいた命綱がブツリと切れた気がした。違う、金ではない。気持ちは否定するが、反論できる武器が見当たらない。

「違う。金じゃない。金だけで、人は幸せにはなれない」

 うわべだけの反論。説明になっていないことは充分わかっていた。

「そうかしら。おまえの口座に莫大なお金があったとしたら、奥さんは充分に子供を育てられて、奥さんも、お子さんも、毎日幸せに過ごせるんじゃない?」

 否定ができなかった。いや、黒木冴子が言うことが当たっている。金で妻と子供の幸せを担保できなければ、単身赴任者の幸せを否定することになる。沢田がいなくても、金さえあれば家庭の幸せは維持できる。気づきたくない現実を黒木冴子にあかされた。

「奥さんや、お子さんのことだけじゃないわ。現実のしがらみは、すべてお金が解決してくれる。充分なお金があれば、現実にこだわる理由なんかないのよ。今のおまえは見続けたい夢を、夢として切り捨てているのも同じ。体を起こして、仕事に出て、お金を稼がなきゃいけないから、夢を見るために眠り続けるわけにはいかないだけ。お金があれば、ずっと夢の世界にいても大きな問題にはならない」

「いったい、何が言いたいんですか!」

 いつの間にかいらだちが頂点に達し、戸惑いが怒りに変わっていた。

「お金の問題を除けば、今、ここで見ているもの、感じているものを現実として、なにか不都合があるのかしら。おまえがさっき、未帰還者になってるという自分を否定できなくて不安に思ったように、もともと現実の自分なんて存在は、不確かなものだわ。おまえが今日驚いた理由は、現実との境が無くなったことよ」

 そうかもしれない。こっちの世界でも不都合が無くなったことに対して驚いたのかもしれない。よくわからなくなっていた。だが、確かなことはあった。金だ。金があれば、家族は幸せに暮らすことができる。子供のころから聞かされてきたこと。金で人は幸せにはなれない。嘘だ。

「現実なんて、うつろなものよ。夢の方を現実として生きたとしても、それで幸せなら何の不都合もないわ」

 黒木冴子が海に顔を向け、遠い目をした。堤防に打ち寄せる波の音だけが聞こえた。